どうも、ビジネスブロガーの百井桃太と申します(大嘘)
突然ですが、皆さんは本を読みますか?
僕は読書が趣味の一つなので小説も実用書も漫画も結構読みます。
中でも、昨年くらいからビジネス書をよく読むようになりました。
まあ始めは新入社員の頃に仕事がうまくいかなくて、読み始めたのですが、だんだんと面白くなってきた+やっぱり読むと自分の人生になんらかにプラスを与えてくれるってことで読むのが習慣化した形ですね。
そんなこんなでコンスタントにビジネス書を読み始めたのですが、やはり頭に定着させるには「アウトプット」が大事だと知りました。
なので今回は自身に再度定着させる意味も込めて僕の好きなビジネス書「嫌われる勇気」の一節についてなるべくわかりやすく解説してみたいと思います。
すみません、ボケも無しに100字以上書いてしまいましたが、突然ビジネスブロガーに舵を切ったわけではありません。二重人格でもありません。
いつも通り百井桃太らしい記事(どんな)を心掛けますので、安心してください(何を)
そもそも「嫌われる勇気」とは?
本屋に立ち寄ることのある方であれば、こんな表紙を見かけたことがあるのではないでしょうか?
僕は読む前から何回もこの表紙を見かけていました。
発売からもう5年ほど経っていますが、未だに平積みされている書店もあるこの「嫌われる勇気」はアドラーという賢人が提唱したアドラー心理学をわかりやすく書いた2020年9月現在200万部を突破している超ベストセラーのビジネス・自己啓発書なのです。
恥ずかしながら僕はこの表紙を見るたびに
ハイハイどうせ「人に嫌われることを恐れずに勇気を持って好きなことやろうぜ」みたいな内容なんやろ?わかってるわかってる。そんなの読まなくても理解してるから
と勝手に決めつけ、スルーしまくっていました。
そして実際に読んでみて愕然としました
思ってたのと全然違うやん……?
当たり前だろ
そんな誰でも想像できることしか書いてない本がベストセラーを取るわけないわけです。
そして読み終えた僕が思ったことは
すっげえ〜
未就学児童並みの感想ですが、純粋に素晴らしいし、これは是非とも人類皆が読むべきだと思いました(影響されやすさが年上の彼氏ができた高1の女子並み)
ただやはり、わかりやすく書いてあるとは言え、そもそもの考え方が難解である「嫌われる勇気」
僕ももっと深く理解したい、それにもっと皆さんに知ってほしい(もう既にみんな知ってるだろとか言わないで)という考えから、今回は「嫌われる勇気」の内容についてわかりやすく説明する記事を書くことに決めました。
そして僕自身の心に刻まれたトラウマも初公開いたしますので、百井桃太ファンの方も垂涎の内容となっております(ボケなので炎上させないでください)
それでは早速行きましょう。
原因論と目的論
「嫌われる勇気」を語るといっても、全部やり始めるとまとめきれずに僕の人生が終わってしまうので今回は中でも僕が心を打たれた話の一つ「原因論と目的論」について語ります。
〇〇論とか聞くだけで無理!!!
〇〇論って勉強!?難しそう!!難しいやつは絶対にダメ!!
いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああ
と、こんな風に〇〇論とか言うともう勉強感、難解感バリバリで蕁麻疹が出て、呼吸困難になってしまうという方もいるかもしれませんが、安心してください。
ここは稀代のう●こブログ「百井桃太のピーチクパーチクパーク」です。
日本国憲法が適用されない(大嘘)というこのう●こインターネット公園に訪れる暇人達に不快な思いはさせません。
というわけで今回はう●こブログらしく「原因論と目的論」をクソほどわかりやすく語ります。
ちなみに僕はビジネスブロガーじゃないので、「は?ちげえだろ!!原因論と目的論を一ミリも理解してねーなお前!!小指の爪から髪の毛の一本までアドラー心理学叩き込んでやるから出てこいやオイ!!」とかいうのはやめてください。
個人の考え方です、という但し書きを受け入れてくれる方のみ、どうぞ(ゴリゴリのビビリ)
原因論と目的論ってつまり何?
まずは結論から行きましょう。
原因論とは「人が行動する理由は何かの原因があるからだ」と考えること。
目的論とは「人が行動する理由は何かの目的があるからだ」と考えること。
です。
まだ少しわかりづらいと思うので、例えとして今日は特別に僕のトラウマを大盤振る舞いの大発掘しながら、皆さんにご提供したいと思います。
あれは、4歳くらいの夏。
当時の僕はとても「虫」が苦手でした。特に理由はなかったのですが、いわゆる食わず嫌いのようなものだったのだと思います。触らず嫌いみたいな。
そんな僕を見ていた父親はどうにか虫嫌いを克服させてやりたいと願っていたようです。
ある時、道端にいた大人カマキリを捕まえて言いました。
父「怖くないから、触ってみ」
でもカマある!
父「カマって、そんな攻撃とかして来んって」
カマあるもん!!
怖くないとか攻撃して来ないとかそんなことを言われても無理なものは無理です。硬直している僕を見て父はカマキリを掴みました。
「じゃあとりあえず掌の上に乗せてみ」
とりあえず乗せるだけならば、となんとか妥協した僕。
掌にカマキリを乗せました。
するとカマキリはゆっくりと上体を曲げ、僕の掌に顔を近づけました。
ガブッ!!!!
GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!
今思い出しても驚きなのですが、なんとカマキリはその自慢のカマを使わずにダイレクトに噛み付いてきたのです。
そして、当時4歳の僕が経験したことないようなとんでもない激痛でした。
この出来事、トラウマのせいで僕は虫が大の苦手になって、全く触れなくなってしまったのです。
これをさっきの原因論と目的論に当てはめてみましょう。
【原因論】
「カマキリに噛まれたから、虫に触らなくなった」
僕が「虫に触らなくなった」のは「カマキリに噛まれた」という原因があるから、だと考えるのが原因論です。トラウマで〇〇ができなくなってしまった!みたいな事象はだいたいこの原因論を当てはめているわけですね。
じゃあ目的論はどうなのか?
【目的論】
「また嫌な思いをしたくないから、虫に触らなくなった」
「カマキリに噛まれたから」という原因ではなく、「またカマキリに噛まれた時のように痛い思い、嫌な思いをしたくないから」つまり「嫌な思いをしたくない」という目的によって「虫に触らなくなった」と考えます。
原因と目的、どちらによって人が行動を決めているのか?ということですね。
そして「嫌われる勇気」、アドラー心理学では人は目的によって動く「目的論」を推しています。
ほ〜ん、で? それはわかったけど、だから何なの?
ここまでそう思われた方が大半だと思います。
じゃあこれを知ったところで一体、何になるのか?
結論から言うと、「目的論」を認識、理解することで人は前に進めるようになるのです。
言うまでもありませんが、過去は変えられません。
変えられるものなら変えたいですが、僕がカマキリに噛まれた過去は変えられませんし、記憶も残り続けます。これは誰だって同じです。
では「過去は変えられない」と言う前置きをした上で「原因論」を採用すると、どうなるでしょうか?
「カマキリに噛まれたから、虫に触らなくなった」
言ったように「カマキリに噛まれた」と言う過去は変えられないので、「カマキリに噛まれた」ことを理由として「虫に触らなくなった」というのも変えられないことになってしまいます。
「私、昔犬に追いかけられたから犬苦手なんだよね」
「私、昔外でトラウマがあったから家から出られないんだよね」
これらも同じで、過去は変えられないので、「人は原因に基づいて行動を決める」という原因論を採用すると一生苦手な犬も引きこもりも克服できないことになってしまいます。
では目的論であればどうでしょう?
「また嫌な思いをしたくないから、虫に触らなくなった」
この場合「嫌な思いをしたくない」というのは現在の自分の思考です。過去は変えられませんが、自分の思考は変えることができる可能性があります。
例えば僕が「本当に虫に触ると嫌な思いをするのだろうか? あの時は子供だったけど、大人になった今ならあの時とは違う感情を持てるのでは?」と思い直す。
つまり目的を変えることができれば虫に触れることができるようになります。
犬に追いかけられたから犬を拒絶するのも、外で嫌な出来事があったから引きこもるのも、目的論で言えば「嫌な思いをしたくないから」で、過去とは違い自分の考え方次第で変える事ができるのです。
つまり「原因論」ではなく「目的論」を採用する事で人は前進する事ができるようになるのです。
おわかりいただけたでしょうか?
稚拙な説明ですが、詳しく知りたい方は是非とも「嫌われる勇気」を読んでみてください。
読んで損はしないと思います。
P.S
よーし!僕も今日から「目的論」を採用して虫を克服するぞ!
ぶぃぃぃぃぃぃぃぃぃん
GYAAAAAAAAAAAAAA!!!!!
まぁ、無理なもんは無理ですわ(開き直り)
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