チョコという名の勲章を求め、彷徨いまさぐる武士(もののふ)の話

思い出
スポンサーリンク

おはようございます。子供の頃にやんやんつけぼーを食べ過ぎて銀歯が4つある百井桃太です。

画像1

 

突然ですが昨日、2/14は何の日でしょうか?

 

そう、バレンタインデーです。

 

小学生、中学生、高校生と常に僕の心臓をドキドキさせてくれたバレンタインデー。

 

まず学校に着いたら靴箱の中を目視+まさぐりでチョコが入ってないかチェック。チロルチョコが靴箱の隅に押しやられている可能性がなきにしもあらずなので隅までまさぐりまくる。教室に着くなり教科書を探るフリしながら机の中をサーッと一通りまさぐりまさぐりチョコがないかをチェック。机の下に転げ落ちていないかも一応チェック。まぁ、朝早く来て好きな男子の所に入れるパターンはなしかと思いつつも、日中に普通な感じで「あ、百井くん、これチョコ。ほら、今日バレンタインだからさっ」とか言って手渡ししてくるという陽キャ女子パターンもあるので、普段は寝ている授業の合間の休み時間もギャン起きしてチョコを待つ。昼休みになると「あぁ、朝早く起きようと思ったけど寝坊してしまって百井くんの机にチョコ入れられなかったよう。でも直接渡すなんて恥ずかしくてできないよう。どうしよう、どうしよう、うわーん」という引っ込み思案系女子もいるだろうなと想像しつつ、敢えて長い時間席を立ち、机やカバンにチョコを入れられるチャンスタイムを演出。昼休みの終わりに戻ってきて「あー、そういやアレどこだったけな?」とありもしない「アレ」を探している大根芝居をかましながら机と鞄をまさぐるまさぐる。そして放課後。「あぁ、朝寝坊しちゃったし、昼休みは友達がずっと話しかけてきたからチョコを入れるタイミングがなかったよう。もうどうにかして直接渡すしかない!百井くん、どうか今日だけは早く帰っちゃわないで!教室の人が少なくなってきたら勇気を出して直接チョコ渡すから!」というおっちょこちょいドジっ子天真爛漫系女子(僕のめちゃめちゃ好きなタイプ)もいるだろうなと思い、普段はすぐに帰るのに敢えて教室に残る残る。友達から「何やってんの?早く帰ろうぜ」と言われても「いやぁー今日はなんとなく家帰りたくねーのよ」とかいう結婚15年目子供二人おってどっちも反抗期、嫁からも愛想を尽かされた父親しか言えないはずの訳の分からない台詞を吐き、残る残る。最終的に女子も友達もみんな帰り、教室に一人取り残されたところで間違いがあってはいけないのでもう一回机と鞄をまさぐる。もしかして机から落ちて教室の隅に蹴飛ばされてやしないか?と教室全体も一度目視でチェック。「教室では恥ずかしくて渡せなかったよう。靴箱で待ち伏せして誰もいないところでチョコ渡したいよう」という恥ずかしがり系女子(僕のめちゃめちゃ好きなタイプ)もいるだろうなと思い声を掛けやすいゆっくりなスピードで靴箱へ。もう一度靴箱を隅から隅までまさぐりまくり靴を履いてナマケモノもイラつくくらいの緩慢な動きで下校。何かの間違いがあってはいけないので、下校中も道の橋に「百井くん宛」のチョコが落ちていないかを目視。最終的に家に着き、もしかすると「学校では恥ずかしくて渡せなかったよう。もうお家に直接投函しちゃえ!えいっ!」という好きな人への事であれば時々驚くほど大胆になってしまう系女子(僕のめちゃめちゃ好きなタイプ)もいて家へのダイレクトアタックも有り得るだろうなと思い、郵便受けを隅から隅までまさぐるまさぐる。

 

そしてやっと自室でバッグを下ろし、今日の成果を確認。

 

はい、「無」

 

こんだけゴリゴリに意識し、注意を全てたかだか「チョコレイト」に向け、一日を過ごした人間の末路がこれです。人生はクソゲーだと言う人がいますが、この時ばかりは賛同せざるを得ませんでした。残されたのは、望んだものが置かれているはずもない各所をまさぐり続けた結果カサカサになって汚れた手だけ。あの頃は何度溜め息をついたかわかりません。

 

そして結果、無償の愛を甘受し、母親から売ってあるチョコを貰い、自身の溜飲を下げていました。いや、実際下がるはずもないのですが溜飲の首根っこを掴み、無理やり己の感情の底に沈めていました。

 

そんな僕も今では所帯持ち。(ヴェルタースオリジナルのCM風)

あの頃ほどバレンタインを強く意識することもない

 

と思いきや、ところがどっこい今もゴリゴリに意識しているのです。

 

今のチョコを求める状況は以前とは少し異なっています。

以前は「恋愛」を求めてチョコを欲していました。つまり「チョコ」を異性からの好意、もしくは愛と置き換えた上で、簡潔に言えば「他者からの愛」を欲していたのです。

 

今は結婚もし、将来を誓い合った伴侶もいるわけで「他者からの愛」を求めているわけではありません。そして既婚者の私にチョコを渡す女性も「チョコ」に愛を込めているわけではありません。それではなぜ私は未だにバレンタインを意識しているのか?そう、これを読んでいる社会人の男性であればお分かりでしょう。今、社内でチョコを意識する理由は「己の地位」なのです。

 

他の会社は知りませんが、うちの会社で自身と関係のない人間に義理チョコを配りまくるようなタイプの女性はいません。つまり、うちの社内ではチョコを貰える男と貰えない男がいるわけです。いわば前者を勝者、後者を敗者と呼んでも差し支えないでしょう。

 

この二種類の人間しかいないのであれば、男は誰しも勝者になりたいと思うでしょう。それに家に帰った時、嫁に「チョコ」を見せることができれば男としての魅力がまだあるのだという一種のアピールにもなるでしょう。実際社内の女性はそういった意図でチョコを渡してはいないのですが関係ないのです。受け取る側がどう思うかは全くの自由なのです。見せパンでも興奮してしまえばこっちのものだという理論と全く同じです。

 

社会人となれば男としての地位を支える勲章と成り代わるバレンタインのチョコ。そのチョコを社会人の男達、いやここからは敢えて武士(もののふ)と呼ばせていただきましょう——武士(もののふ)は皆、欲しているのです。

 

時々、意識の高い男が「チョコなんていらない、俺は武士(もののふ)ではない」と言っていますが、あれは嘘です。絶対、バレンタインの日は意識してソワソワしてるはずです。精神の大半をビジネスに向けながら、バリバリと仕事をこなしながら、心の奥底でちっちゃな武士(もののふ)がチョコもらえないかな、と指を加えて顔を覗かせているのです。

 

ちなみに「いやまじでいらないんだよ。だって俺チョコ嫌いだもん」とか言う輩がいますが、そういう問題じゃありません。僕は昔お菓子を食い過ぎて銀歯が4つあり、その反動から進んで甘みを欲することはありませんし、パン買いに行ってもまるごとソーセージしか買わない辛党ですが、チョコが欲しくてたまらない武士(もののふ)です。

 

というかチョコかどうかなんてどうでもいい訳ですよ。手作りか否かってところはまた別途モノノフポイントが加算されるところ(手作りの方がやっぱりもののふは嬉しい)なので手作りができるものってところは重要ですが、それならば極論バレンタインは漬け物でも問題ないと僕は思っています。机の中に入れた時、絶対に漏れないと誓うのならば、僕は許可します。いやもうはっきり言いますが、要するに欲しいのは「貰ったという事実」なんですよ!!!!

 

 

フーッ……フーッ……

 

 

すみません、どうも熱くなりすぎてしまったようですね。武士(もののふ)の話になると周りが見えなくなるのは悪い癖ですね……。

 

そして肝心のバレンタインの結果ですが……

 

 

今年は3個もらえました!!

 

 

これは個人的には上級武士(じょうきゅうもののふ)と言ってもいいでしょう。かなり上出来でした。

 

 

しかし2/15現在、嫁からのチョコは未だ貰えていません。

 

 

えっと……?

 

大人になるとチョコへの見方が変わり、周りからのチョコが「愛」として欲することはなくなるとは言いましたが、それは嫁からの愛(チョコ)があるものだという前提に成り立ってるんだけど……?

 

嫁からのチョコがないとそれは話ちがくない……?

 

 

ねえ……?

 

そうでしょう……?

 

 

武士(もののふ)たち……応えてよ……

 

ねえ……?

 

ねえ……?

 

 

違う……?

 

 

僕が間違ってる……?

 

 

ねえ……?

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました