おはようございます。百井桃太です。
突然ですが、皆さんはこれだけなら人には絶対に負けないという特技はありますか?
私自身、大人になって社会に出た今、なかなか胸を張って「これだけは負けない」なんて言えることはなかなかありませんが、子供の頃はいろいろなことに関して「僕って天才なのかもしれない」と思うことがありました。
今日はそんな自惚れた少年だった僕が現実の厳しさを知った話です。
子供の頃、僕はまさに平凡でした。
親によると、言葉を話し始めるのがすこぶる早かったので「稀代の天才が生まれたか?」といらぬ期待を抱かせたみたいですが、数年経つとどこにでもありふれたハナタレ小僧になりました。つまりトンビが鷹を産むってのはガセネタです。
というわけで才能を持たなかった僕ですが、そんな僕でも褒められることがありました。
それは好き嫌いです。
僕はその頃の周りの未就学児と比べても嫌いなものが少なかったのです。いえ、少なかったというのは語弊があります。
なかったのです。
皆さん、ご自身の幼少期を思い出してください。
ピーマン
玉ねぎ
人参
トマト
しいたけ
レバー
アスパラガス
トマト
グリーンピース
セロリ
チンゲンサイ
どうですか?幼少期の皆さんのトラウマとなっているであろうこれらの野菜、肉。僕はこれら全てを笑顔で食べることができたのです。
驚嘆ではありませんか?
ピーマンですよ。しいたけですよ。トマトですよ。レバーですよ。
僕はこれらを全て笑顔で食べることができたのです。(二回目)
なぜ未就学児にこんなとんでもない芸当ができたのか。種明かしをするとこれはまぁ、「ピエトロドレッシング」というドーピングをしてたせいもあるわけですが、(ピエトロドレッシングはマジでクソうまい。世界中の液体の中で五本の指に入る美味さ。食べたことない人は食べてください)それにしても我ながら嫌いなものがなかったなと思います。
そしてこの「嫌いなものがない」というのは驚くほどに周囲の賞賛を得ました。
「偉いねえ」
「すごいねえ」
「ももちゃんは大人だねえ」
これら全ての賞賛が僕の自惚れを加速させていきました。「僕に食えないものはない」いつしかそういう自負が齢五つの僕の中を支配していました。
挙げ句の果てには「カーモンベイベー、カモンベイベー、玉ねぎ食べれる〜?」というクレヨンしんちゃんの曲にすら「玉ねぎ?クソイージーじゃん」とマウントをとるようになっていました。マジで子供に対して挑戦状を叩きつけてるわけじゃねえんだよ。そういう曲じゃねえんだよ、それは。
ただし、「嫌いなものがなくて褒められる」という特技にはなかなか恐ろしい落とし穴がありました。
それは次第に周囲が慣れ始めるということです。
例えば「絵が上手」であればいろいろな絵を書くたびに周囲は褒めてくれるでしょう。何かのスポーツの才能があれば、試合で活躍したり大会などで入賞したりするたびに周囲は褒めてくれるでしょう。それらの才能はすぐに真新しい「成果」を生み出し、周囲の賞賛を浴びることができるのです。
でも「嫌いな食べ物がない」というのはどうでしょうか。
例えばピーマン。幼少期の難関の一つです。これをなんの躊躇もなく食べ、満面の笑顔で「美味しいよ」というとそれはもうスタンディングオベーション並みの賞賛を得られます。
しかし次にピーマンを食べた時はどうでしょう。もう既にピーマンは食べることができるわけですからもはや誰もそこで褒めることはしないわけです。そしてピーマンを食えてもピーマンを食えることを競う大会の幼少の部もありません。つまり褒められるのはほぼ初めの一度だけなのです。
最初のうちはそれでも問題ありませんでした。食卓に上がる野菜はまだまだ数多く控えていたからです。新たな野菜を食べ、笑顔を見せるたびに得られるインスタント・サティスファクションはまるで薬物のような禁断症状を生みました。そして一通り食卓にあがる野菜を食べ尽くした頃、賞賛を得られなくなった僕は承認欲求ゾンビと化したのです。
褒められたい。でも食卓に出る野菜は食い尽くしてしまっている。
どうすれば、どうすれば褒められるのだ!!!
頭を悩ませていた僕はその時、とあるCMに目を奪われました
なんだこれは!!?
僕は子供ながらに目を奪われました。
「まずい」を売りにしているだと?しかも39-0831(サンキューお野菜)だと!?
こんなもの、僕が褒められるためにこの世に存在しているに決まっているじゃないか!!!
僕は即、親に頼み込みました。我ながら親に青汁を頼み込む未就学児ってなんなんですかね。
幸か不幸か、お試し版で10パックを無料で頼むことができたので親も快く許してくれました。いや未就学児に青汁をくれてやる親もどうなんだと思いますが。
そして待ちわびた青汁がついに届きました。
母親「本当に青汁飲めるの?」
心配そうにいう母親に僕は胸を張りました。
僕「飲めるよ!!僕、野菜好きだもん!!」
そして早速コップに入れ、ドリンキングタイム。
あれ…?
なんか臭え…?
明らかに野菜とは違う異臭がコップから漂っており、僕の脳裏には子供ながらに「あれ…これやばいことしちゃった……?」という恐怖がよぎりました。しかし褒められたいの一心がすぐにその恐怖をかき消してくれます。
僕はどんな野菜でも食べられる未就学児童なんだ。選ばれた人間なんだ。どんなに苦味の強いものだって僕の下の前では無力なんだ!!!
意を決して僕は青汁をごくりといきました。
僕「ヴォエエエエァァァァァ!!!!!」
全然無理でした
これはもうかれこれ数十年前の話ですが、今だにこの時の衝撃的な味覚の暴力は記憶に鮮明に残っています。
まず何がやばいってシンプルにその青臭さですね。あれね、もう野菜とかそういうジャンルじゃないんですよ。そこらへんの道に生えてるありとあらゆる雑草を煮込んで冷やした汁なんですよ。苦いとかそういう次元じゃないんです。口にイン、即反射的にヴォエエエという鬼のようなえずきが喉の奥から湧き出してくるのです。
臭いも鬼です。一旦口の中に入れると水で洗い流してもその青臭さが全く取れません。これまでのどんな野菜よりも苦くて臭くてエイリアンの血みたいな深緑をした飲み物が目の前のコップにはまだなみなみと注がれていました。
母親「え、何? どうしたん?」
脂汗を浮かべる僕を見つめる母親。まずい、これでは褒められないではないか。いやむしろ飲めもしないのに安易に注文をねだったことを怒られるかもしれない。これはまずい。絶対に笑顔を浮かべなければ。
僕はキューサイのCMのおっさんをイメージしながら涙目の震え声で「まずいけど、うまぁい」と支離滅裂な台詞を呟き、汚い笑顔を浮かべました。おそらくAIロボットみたいにぎこちなく汚い笑顔を浮かべていたことでしょう。
しかしこれは飲めたもんではない、と子供ながらに思った僕は、「ストローある?ゆっくり飲みたい」というまたもや支離滅裂な理論を用いてストローをもらいました。少しずつ飲めばこの臭さも苦さも耐えられるはずだ。そう思ってチュッと少量を少し吸い込みました。
僕「ヴォァ……」
「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の例文かよ
全く変わらぬ雑草クオリティでした。これはどう飲んでも無理だ。僕は涙ながらにギブアップし、母親に怒られました。「どんなものでも食べられる」と調子に乗っていた井の中の蛙が世界の広さを知り、敗北を知った瞬間でした。
そしてそれから数年後、今度は初めて家で出た「ゴーヤチャンプルー」を一口目で吐き出し、豆腐や玉子に逃げようとしてもゴーヤの苦味が染み付いていて一切おかずが食えなくなった「ゴーヤを初めて食ったやつ味覚いかれてただろ事件」に弁当に入っていた染物かってくらい紫の「柴漬け」食って悪寒が止まらなくなり、無限にえずき昼休み終わるまで涙目で柴漬けを見つめていた「柴漬けvs百井延長18回の死闘事件」を経て自分がただの凡夫であることを知りました。
皆さんも自惚れて「井の中の蛙」にならないようお気をつけください。
そして野菜が苦手な方は是非ともピエトロドレッシングをお試しください。
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